前回に引き続き自信について述べてみます。
ここでは「自分という存在を根拠なく信じられること」を自信という言葉で表現します。
それが本質的な意味での自信です。
具体的には『自信』とは「自分がこの世界にいるのは至極当たり前だ」と気負いもなくごく普通に実感出来ている状態のことを指します。
もっと言えばそもそも『自信』の有無について考える必要がない状態のことです。
呼吸する前に空気があるかどうかなんて確認しないようにね。
それぞれの自信の有無については胎児の時の状況が大きく深く関わっています。
「自分が無条件に認められている!」と十分感じて生まれてこれるかどうかがその後の人生の大きな分かれ目になるのです。
それぞれの自信の有無については胎児の時の状況が大きく深く関わっています。
「自分が無条件に認められている!」と十分感じて生まれてこれるかどうかがその後の人生の大きな分かれ目になるのです。
この世界に生まれてくる時に「自分は無条件に認められている!」という感覚があれば『自信』のある人になり、なければ『自信』のない人になります。
どう考えたって世の中の大半はその感覚のない人たちで占められてるんですよね…
じゃあ、「認められているとか認められていないとかって相手は誰なんだ?」というとそれは親です。
もっと言えば主に母親です。
親に認められて生まれた子は「自分はこの世のど真ん中に居ていいんだ!」と物心つく前から感じてるわけです。
つまり、物事の熟練や知識量なんてことに何の関係もなく、生まれながらにして持ってるのが『自信』ということです。
以上のようなことをこれまで何度も申し上げできました。
他にこういうことをおっしゃる方も少ないように思います。
よく考えてみたら、「自信がない」ことに、これといった根拠がなかったりする。だったら、「自信がない」はやめて、「何となく自信がある」ぐらいに設定し直そう。そして、すこーしずつ、「自信満々」にシフトするの。
自信についての根拠の有る無しを考えてる時点で、自信っていうモノがよく分かってない証拠の気がします。
そもそも本質的な意味での自信に根拠なんてないからです。
それに自信は自らがテクニカルに設定するような類いのモノでもありません。
端から出来もしないことを出来ると思って進めば当然心は迷います。
世の中には「この世の可成りの部分はテクニカルに操れるんじゃないか」と考えてる人が結構いらっしゃいます。
その手の人々の心の奥底には「やり方さえ間違わなければ人間なんて簡単に操作出来る! チョロいもんだ!」っていう想いがあるのでしょう。
そういうメンタリティを個人的に『操れる系』と呼んでいます。
本質的な意味での自信ってのは『操れる系』が操れるような代物では元々ないのです。
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