人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は想像力が乏しいと考えて先ずハズレはありません。
完璧な叡智なんてモノはこの世にはありません。
「思いつく→実験する→多分そうだろうな」って感じで物事を知る以外人間には手はないのだろうと思います。
過去も現在も未来もね!
そうやって少しずつ少しずつ進んでいくってのが所謂進歩ってモノだろうと感じるのです。
「進歩っていうのはあっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立つものだ」ということです。
たまたまでは無く必然としてね。
そもそも人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。
大怪我しない程度にそういうのがなけりゃキチンと歩けるようにはなりません。
歩けるようになるためにはそういう痛い思いもしながら学習していくことが必要なのです。
試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか生きる道はないのです。
じゃあ、大人になったら何処にもぶつからないのか?或いは転けないのか?っていうとそんなことはありません。
元々あっちへフラフラこっちへフラフラしながら人生を歩いていくのが人間なのです。
人間があっちへフラフラこっちへフラフラしながら人生を歩いていくは、肉体を持っているからです。
肉体があるってことは欲望があることだからです。
物理的に肉体を維持していくのには生命維持に関する欲望は不可欠です。
ただ、この欲望ってヤツは人の心をあっちへ引っ張り、こっちへ振り回しする厄介なモノです。
しかし、同時にそれは人の心に試行錯誤のキッカケを与えるモノでもあります。
肉体がなく欲望もなければ、人は試行錯誤を繰り返す意欲を持つことは出来ないでしょう。
試行錯誤を繰り返さなければ当然進歩もありません。
スピリチュアルにどっぷり浸かってるのもバランスが悪すぎるけど、大して真理を見付けていないのに「スピリチュアルはもういい」と云うのもどうかと思う
スピリチュアルやサトリ系の人はよく『真理』なんて言葉を使われます。
私が所謂『真理』とやらに対して眉に唾をつけて見るのは、上に書いたような『進歩』とは本質的に全く真逆を向いた考え方だと感じるからです。
普遍不動 (真理) と試行錯誤 (進歩) ってのが矛盾せずに両立するとはとても思えないのです。
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