目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。
もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。
みんな自分が正しいと思っているからです。
もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。
知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。
知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。
『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。
じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。
「正しい!って想いは自己完結しないモノである」というのはどういうことかと言うと「正しい!ってのはそもそも他者との比較の上でしか成り立たない」ということです。
『正しいの比べっこ』は結局「自分が正しいと思ってることを他人にも正しいと認めさせたい」って気持ちのぶつかり合いなのです。
自分が正しい!というコダワリを持って他者と比較していれば、遅かれ早かれ他者に、自分の正しい!を押し付けたくなるのは当然です。
そして、自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少していきます。
単純に考えてみてください。
「自分が正しい! 自分が正しい!」と年がら年中考え続けているような人が他人に対して寛容でいられるかどうかを。
重要なのはその状態が自分自身にもダメージを与えるということです。
荒々しさが肥大化すればするほど心の毒となって己れを苦しめるのです。
最近こんな文章を拝見しました。
邪教のたいへん危険で恐ろしいところは、信者が自覚せずに黒魔術を使っていること
この文章のたいへん危険で恐ろしいところは、邪教とか黒魔術とか『決めつける言葉』を使ってるところです。
邪教って使うということは「自分は相手よら圧倒的に正しい!」って宣言してるのと同じですからね。
邪教に代表されるような関係性を固定する言葉を使いたがる時点で、心は固定化してしまってるんだろうなと推測出来ます。
「自分は必ず正しくて相手は必ず間違っている」という関係性の固定化です。
そういう類いの言葉を日頃から話の中に差し込んでくる人には気をつけた方がいいでしょう。
マウンティングがその人の中では『当たり前のこと』になってる場合が多いですからね。
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