『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

人は見たいものを見たいように見ているから唯一絶対の『答え』などない

古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。
 
もっと簡単に言えば、「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が持っている」ということです。
つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。
 
別の言い方をすれば人間は元々主観的な存在だってことです。
純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは何処にも存在しません。
 
主観というものには大なり小なり偏りが存在します。
一人一人が見てる『世界』というのにはそれぞれに常に偏りがあるということです。
 
以上しつこく何度も同じことについて色んな言い方をしました。
なぜかといえばそこんところが大前提だからです。
 
ただ、世の中にはこの「人間は見たいものを見たいように見ているだけだ」ってところがピンと来ない人って結構少なくないらしいのです。
特にスピリチュアルとか自己啓発とか宗教が好きな人には多い気がします。
 
(引用はじめ)
宗教の経典や教えは、それを伝えた開祖がすでに遥か昔に亡くなっていると、直接本人へ聞くこともできませんので、のこされた聖書や経典などの書物を基に教えを説いていくのですが、本来そこに書かれている神仏の教えに複数の解釈などはなく、書かれているままに受け入れることが肝要なのです。
歪んだ心で見れば、歪んだ解釈をし、素直に見れば素直に理解できるものです。
(引用終わり)
 
「書かれてるまま受け入れる」と言われても人間というフィルターを通してる限り開祖の認識とはズレるのです。
全く同じ人間ではないのだからそれは当然なのです。
 
ていうか同一人物でも時空を隔てれば解釈は変わります。
その証拠に例えば中学校の時読んだのと同じ本を大人になって読むと全く違う風に読めたりします。
 
歳を取り様々な経験を重ねる毎に人は認識を新たにします。
新たにしないのなら進歩がないってことなのです。
 
「神仏の教えに複数の解釈などはなく」なんて言ってるとそのうち異端・正統の闘争が起こります。
物事の本質として必ず起こるのです。
 
まぁ、歴史を少しでも知れば「膠着した思想が血で血を洗う闘争を生む」という実例を探すことはすごく簡単です。
「聖書だろうと仏典だろうと或いはブログの記事だろうと、解釈は人の数だけ生まれる」ということを先ず知らないと『現実』をより一層歪めるだけになるでしょうね…
 
 
 
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