『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

先祖供養と『家系の断絶』の問題

成仏してない先祖は子孫が責任持って成仏させなくちゃならないって話があります。
所謂一つの先祖供養の話です。
 
これって私には全然ピンと来ない話なんですよねぇ。
良くも悪くもそんなに先祖が子孫にガッツリ関わるのが常態化してるのなら、所謂浮遊霊みたいなモノは何で存在するのでしょうねぇ?
 
所謂地縛霊は何故あちこちに立っているのですかね?
そういう浮遊霊や地縛霊だって誰かのご先祖さまのはずですが…
 
そもそも、じゃあ何故とんでもなく多くの亡くなったヒトたちが子孫とは縁もゆかりもない場所で地縛霊やら浮遊霊やらをしてるんでしょうか?
はっきり申し上げて未成仏霊のヒトの多くが子孫と関係ない場所に存在していると思いますよ。
「地縛霊なのにお盆だけ自由に動けて子孫のところへテクテク帰る」ってなことがあったなら、逆に不思議でしょうに…(-_-)
 
「先祖は必ず子孫のところに行く」っていうのなら、どう考えてもこんなに地縛霊やら浮遊霊やらが多いはずはないのです。
祟るとか祟らないとかいう遥か以前に「そのヒトたちは子孫のところへたどり着いていませんよ」ってことです。
 
それに、何より子孫が絶えた家系ってのが世の中には少なくないのです。
昔の言い方をするなら家名断絶ってヤツです。
 
それは血縁という意味ではどこかで繋がってるとしても、「〇〇家」或いは「〇〇氏」という形では現在まで家系が継続してないということです。
別の言い方をするなら、先祖としての亡くなられたヒトは存在しても、供養の実施者を自覚する生きてる側の人間が何処にも存在しないってことです。
 
そういう子孫のいない所謂一つのご先祖さまってのはこの世界には少なくないと思います。
供養される宛のない亡くなられたヒトビトがね。
これから少子化が進めば、その問題は社会的にも、霊的にも、より露わになっていくことでしょう。
 
で、そういう場合どうなるかというと大抵の人は徐々に生きてた時の意識が薄れて自然に返っていくんじゃないでしょうか。
自然に返るというのは所謂成仏するってことです。
場合によっては結構長い時間が掛かるかも知れませんけどね。
 
それでも、ものすごい強烈な感情を持ったヒトは中々成仏出来ない気がします。
さらに長い時間を要するんじゃないでしょうか。
 
どちらにしろ成仏に先祖供養は必須ではありません。
ていうか先祖供養が必須なら、先ほど申し上げたように子孫の家系の絶えたヒトは永久に成仏出来ないことになってしまいますからねぇ。
 
誤解のないように申し上げれば、先祖供養をするなとか言ってるわけではないです。
生きてる人間の心の安寧のため、または社会の潤滑油としての宗教的儀式としてそういうことをおやりになるのはいっこうに構いません。
ただ、言いたいのはそれによって先祖を本当に成仏させられるかどうかはまた別の話だってことです。
 
 
 
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「大いなる存在に全てを委ねる」とかいう思考停止

「進歩っていうのはあっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立つものだ」と思うのです。
たまたまでは無く必然としてね。

なので、ずっとブレないというのは何も進歩してないというのと同じです。
ブレない心を目指すというのは自ら進んで『進歩』から遠ざかるということです。 
「試行錯誤を放棄する!」と宣言しているのに等しいわけですから。

それは一言でいえば思考停止です。
思考停止して自分に都合のいいファンタジーに耽るということです。

元々あっちへフラフラこっちへフラフラしながら生きてるのが人間です。
思考停止してしまえば心のバランスが取れなくなります。
  
人間は生きている限り『ブレること』を繰り返し、心のバランスを常に取り続けるしか道はないのです。  
その「バランスを取る」というところからズレてしまうと遅かれ早かれ心は迷います。
 
所謂スピリチュアルやら自己啓発やらってのは大抵上に書いたような『思考停止』ってのが大好きです。
「思考停止して『ブレない何か』に縋れば、その先はほっといてもずっと楽になる!」って考え方なのでしょう…

で、その『ブレない何か』ってのを「神さま」と呼んだり「真理」と呼んだり「悟り」と呼んだり、色々します。
とにかく「めんどくさい試行錯誤なんて金輪際しなくてもいいようにする道具」としての『何か』のことです。
その『何か』に縋り付ければ、何でもトントン拍子に上手くいくって信じてるのです。
例えばこんな風に↓
人はもうどうしようもないと悟ると、 大いなる存在に全てを委ねる意外の選択肢がなくなります。 なので生きてさえいれば自我は自ずから放棄されるでしょう。 しかし当然それまでに自力を尽くさねばなりません。 心の底まで諦めきれるほどに。
この文章を書かれてるのはサトリ系の方のようです。
このブログでは神秘体験をするしないに関わらず、覚醒とか悟りとかをいわゆるスピリチュアル〜に探求されている方々、もっと言えば「ワタシもこれからドシドシ悟ってくわよ!」って感じのノリの人々すべてを 『サトリ系』と呼んできました。 
サトリ系の人の所謂『悟り』ってのは「この世界における普遍不動の原理原則をある種の万能感とともに手に入れることであろう」と個人的には思っています。
 
その万能感を手に入れる手段が「所謂一つのカミサマに自分の全てを委ねる」なんてことだとしたら相当危うい話だと思います。
だって、それは先ほど申し上げた思考停止そのものだからです。
 
自ら進歩を捨て去り、生きるということを全部投げ出したってことだからです。
心のバランスを取ることは最後まで放棄しちゃいけないと思いますよ。
 
 
 
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菜食主義と不健康

人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。毀したり治したりしながら生きているのである。
『整体』という言葉を作った男  野口晴哉
健康であることを絶対不変の『真理』であるかのように思い込み、がむしゃらに突き進めば、遅かれ早かれ「不健康を徹底的に排除し、世界を自分たちの考える『健康』だけにしたい!」という衝動に突き動かされるようになるでしょう。
でも、「不健康な要素を機械的ガリガリ削り取って、健康になるための純粋な要素だけを抽出しよう」みたいなやり方には、どうしたって無理があるのです。
それじゃまるで善と悪を化学的に切り離そうとした『ジキルとハイド』のお話そっくりです。
 
陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。
また「禍福は糾える縄の如し」とも申します。
 
健康と不健康もまた糾える縄の如く分かちがたいモノとしてリバーシブルに存在しているのではないでしょうか?
肉体を持ってこの世に存在する限り…
 
人間「時には不健康も受け取めながら、穏やかに倦むことなく健康に近付いていく」ってのが大切な気がします。
要は健康にしろ不健康にしろ『極端』な方向に急激に振り切れることなく、コツコツとバランスを取って歩み続けることが大事だってことです。
 
健康について以上のようなことをこれまで述べてまいりました。
で、ここからが本題です。
「菜食主義は健康にとって良いことなのか?」って話です。
 
個人的には菜食主義にはあまり良いイメージはなかったのです。
何故なら、それって極端な方向に振り切れた在り方だと感じたからです。
 
ただ、それは何らかの明確な情報に裏打ちされたモノではなかったのです。
ところが、最近こんな文章を拝見したのです↓
ヴィーガン菜食主義は寿命が20年縮まると判明 骨や歯がもろくなり、骨粗しょう症、虫歯、歯周病の進行も早くなる
やっぱりなぁと思いました。
これで少なくとも菜食主義は健康には良い影響を与えないってことは確認出来た気がします。
 
とはいえ健康に良いか悪いかとは関係なく、菜食主義はこれからも存在し続けるのでしょう。
何故なら、菜食主義は単なる健康法ではなく、一つの信仰みたいなモノになっているからです。
 
一つの信仰とは「肉食する者は身体が汚れる。身体だけではなく、心も魂も汚れるのだ!」みたいな考え方のことです。
「肉食は穢れ、菜食は清め」という感じの想いが染み付いてしまっているのでしょう。
要は理屈じゃないのです。
 
もちろん何を信じようとそれぞれの自由です。
しかし、菜食主義は健康とは関係ない、むしろ健康とは相反する『思想信条』であろう点は、最後にもう一度ハッキリ申し上げておきたいと思います。
 
 
 
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独断と妄想による「人が所謂成仏しない理由」

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』ですからはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。
向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
 
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
 
2017年7月の記事
例によって例のごとく独断と妄想のお話です。
話半分でお聞きくださいm(_ _)m
 
地縛霊って言葉があります。
特定の場所に縛られて動けない亡くなったヒトのことです。
 
その多くが実はご自分が亡くなったことを分かってない人ではないかと個人的には思っています。
まぁ、今までの経験から判断してですけどね…
 
要するに特別な曰く因縁によって文字通りその場所に縛られてるヒトって皆無とまでは言いませんが、そんなに多くはないんじゃないでしょうか。
で、そういう霊的なことにやたらと納得出来るような原因を求めたがるのも如何なものかと感じます。
世の中そんなにドラマみたいな因縁話ばかりあるわけじゃありませんからねぇ。
 
じゃあ、地縛霊とか浮遊霊とか何であちこちにいるのって言ったら、繰り返しになりますが自分が亡くなったのがよく分かってないからです。
何故分かってないかといえば現代人にとって体感としての死が遠いものだからではないかと思うのです。
 
昔なら家の外に死はたくさんありました。
人間はともかく小動物、昆虫など死は比較的近くにあったのです。
今ごろの季節なら田舎道にたくさんカエルが引かれて干からびてたり、蝉の死体にアリが集ってたりね… 
 
そういった生々しい死を子供でも日常の中で普通に目にしていました。
今ごろは、ある程度以上の規模の街の小綺麗なマンションにでも住んでいれば、日常の中に上記のような死が入り込んでくることは滅多にないでしょう。
 
生々しい死を体験すればするほど誰しも否応なく自己の死を認識せざるを得なくなります。
観念としてではなく、いつか現実に起こることとして…
 
つまり、死が体感として割合身近にあって、それを強く拒否しなければ所謂成仏が出来る可能性が高まるのです。
逆にいえば死を近くに体感出来ず、生へのコダワリなどが強すぎたりすると地縛霊とかになりやすい気がします。
 
あと、唯物論的に死後の世界を強く否定してたりね…
もちろんどんな思想信条を持とうと自由ですが、それだと所謂成仏はしにくいでしょうねぇ。
思想信条に邪魔されてね…
 
※ 一応補足すると、上記の内容が「成仏しない原因のすべてだ」なんて言いたいわけではありません。
ただ、一般によくいわれるような「息をひきとる時の状態 (死に方) 」や「子孫の供養の仕方や多寡」が成仏か不成仏かを決めるなんて話は、「何か違うんじゃないのかなぁ」って気がするのです。
 
 
 
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健康と不健康と「穢れを極端に嫌うココロ」

生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。
分かりやすい例で言えば呼吸です。
吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。
 
でも、呼吸というのはそこら辺にある空気をざっくり吸い込むことしか出来ません。
身体に良い成分のみを前もって選別して吸い込むなんて芸当は出来ないのです。 
 
呼吸に限らずエネルギーの出し入れというのは全てそういう仕組みになっています。
まとめて全部取り込んでから必要なものだけ吸収して不要なものは排泄してしまうという構造です。
 
どんな人であれエネルギー源として様々なモノをまとめて自分の中に取り込むという作業をずっと続けています。
生まれてから死ぬまで絶えることなくね。
 
まとめて全部取り込む方式ですから取り込む際にその場その場で事前に分別することは出来ません。
取り込むか取り込まないか自体を決めることは可能ですがね。
 
であるなら当然純度100%の良いものだけをいつでも何処でも取り込むなんてことは初めから不可能なのです。
何であれ「取り込むものにはある一定の不純物は混ざるもんだ」という認識が必要になります。
 
つまり、心であれ身体であれ『不純物を含んだ自分』という存在と折り合いを付けながら進むしかないのです。
折り合いを付けるというのは「純度100%という幻想を追いかけない」ってことです。
 
ただ、世の中には0か100かの分かりやすさを求める人が結構いらっしゃいます。
「右か左か、上か下か、あやふやなことは言うなよ!」みたいな感じでね。
例えばこんな風に↓
霊障は、有るか無いかどちからであり、少しぐらいなら有っても大丈夫というものではありません。 有ること自体がおかしいのですから、少しぐらいあってもと考えるのであれば受け入れるということになり、病気も、その他の不具合も同じく受け入れることになります。
この方によると「霊障ってのは有るか無いか二つに一つなのである」ってことのようです。
霊障も病気もその他の不具合も1ミリでも受け入れたら即失格!って感じです。
 
でもね、生きるっていうことはもっと曖昧模糊としてどっち付かずのモノなのではないかと感じます。
絶えず心と身体のバランスを取り続けて、あっちへぶつかり、こっちでつまずきながら試行錯誤繰り返して進むのが人生ってヤツでしょう。
 
0か100かしかない在り方ってのは遅かれ早かれ心を迷子にします。
霊的にも肉体的にもね。
人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。毀したり治したりしながら生きているのである。だから、治っているから健康であるとか、毀れているから病気であるとかの区別はつけられない。 
『整体』という言葉を作った男  野口晴哉
 
 
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心を緩めることで『生きること』のハードルを下げてみる

ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。
それは個人的にも社会的にも純度100%の完璧さみたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。
 
だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は劣化した!」とかおっしゃって嘆かれるのです。
「そんなにハードル上げてちゃ、そりゃガッカリするだろうな」と個人的には感じるのです。
人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるだろうと…
 
明石家さんまじゃないけれど、今こそ「生きてるだけで丸儲け」くらいの感覚に戻したらいいんじゃないかなと思うのです。
生きるということのハードルを出来るだけ下げて能天気なくらいにならないとこれからの時代乗り切れないかも知れませんので。
 
「明るく・軽く・バカバカしく」の三点セットを大切にしたいと思う今日この頃です。
苦しい時こそ眉間にシワを寄せるより目尻にシワを寄せましょう(^-^)/
 
以上のようなことを前に書いたことがあります。
今の世の中「清く!正しく!美しく!」の大合唱で現実離れした規律を求める世界になっていってる気がするのです。
例えばこんな風に↓
スーパーでレジの店員さんが突然しゃがみ込んだ。どうしたんだろうと見ると、レジの下に隠れるように水を飲んでいる。クレーム対策として、水分補給は客から見えないように行っているのだろう。 今の日本って本当に息苦しくて生きづらくて悲しくなる。 水くらい堂々と飲める社会になったらいいな。
過去にレジ内で水分補給したら「仕事中に何やってるんだ💢」と怒る客がいたのかも知れませんねぇ(ー ー;)
最近例えていうと「牛丼屋の店員に高級レストランの接客のレベルを求める」みたいな人が増えてる気がするんですよね。
 
度の過ぎたハイクオリティっていうんですかねぇ…
そんなの求めてたら求める本人が、やがて自分の首を絞めることになるだろうと思うんですけどね…
個人的にも社会的にもストレスが爆増するでしょうから。
 
ストレスの多い人は顎と鳩尾が硬いものです。
それは苦しみに耐えるために半ば無意識に歯を食いしばり、腹筋に力を込めるように人間というものは出来ているからです。
だから、逆に顎を緩めて鳩尾を柔らかくすれば心もある程度緩めることが出来ます。
 
眉間にシワを寄せ顎を食いしばってばかりいるような人は、逆にたまにはボーッと口を開けっ放しにして肩をスト~ンと落として青空でもの~んびり見上げてみてください! 
相当アホみたいですが、顔の緊張は確実に弛みますよ~。 

顔の緊張が取れれば色んなところの緊張も一緒に取れたりします。 
題して『アホ顔でキンチョーゆるゆる大作戦』です。 
略して『アホゆる』!! 
別に略さなくてもいいんですがね(笑) 
ストレス過多にはオススメです!
 
何であれ硬くなりすぎたら緩めることが大切です。
今の世の中色んな意味で『硬くなりすぎてる』と思いますので…
 
 
 
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想像力を失うと「周りが見えてない状態」になります

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
 
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 
ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
 
先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。
 
『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。
「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は幾ら博識であっても『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。
 
で、「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな人は往々にして先入観と思い込みで物事を判断しようとします。 
それは想像力が乏しいせいで、様々な角度や色んなパターンでの思考が出来ないからです。
 
このブログでは、想像力について上記のようなことを繰り返し述べてまいりました。
人間らしさを発揮するためには想像力が非常に重要な要素だと思います。
で、最近以下のような文章を拝見したのです↓
思い込みが激しい人は想像力は高いけど、それが事実かどうかはあまり気にしない人が多い。認知の歪みから考えが飛躍しがちになる
思い込みが激しい人が想像力が高いっていうのは正反対だと思います。
「事実かどうかはあまり気にしない」って箇所から考えて、どうも妄想癖を想像力と混同されているんじゃないでしょうか。
妄想癖が強いってのは、まさに思い込みが激しいということですから…
 
妄想癖が強いのは慮るチカラが弱いってことでもあります。
慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。
 
心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。
見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。
 そして、そのマイワールドこそ『世界』そのものだと勘違いしてたりします。
 
心の視野の狭い人は思い込みが激しいです。
思い込みが激しい人は他人の話をロクに聞きません。
 
聞けないといった方がいいのかも知れません。
多分頭の中に他人の言葉がちゃんと入ってこないのです。
 
それって近眼の人がメガネを掛けずに周りを見てるようなものです。
目の悪い人ならお分かりでしょうが、遠いところはもちろんある程度近くてもボヤけて細かいところは判別出来ません。
まぁ、それに近いのが『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドってヤツです。
 
そのマイワールドが『世界』そのものだと思い込むと「オレがコレっていったらコレなの! コレだけが正解なの!」って感じになりがちです。
所謂「周りが見えてない状態」になるのです。
 
 
 
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持って生まれた第六感と信仰絡みの所謂『霊能力』

世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。
そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 

一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 
一般的には勘とか呼ばれるモノです。
 
個人的には勘は他の五感と並列的に在るものだと思っています。
特別な人間に与えられた特殊なチカラではなくね。
 
ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。
それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。
 
第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。
しかし、その100%全てがなくなるということは死ぬまでないのです。
っていうかそれが完全に無くなるってのが「亡くなること」ですからね。

もう一つは『物の怪』など目に見えない存在から何かの拍子に後天的に与えられた超自然的なチカラ です。 
本来その人が持っていなかったモノなので当然何者かから貰わなければ使えません。
 
またチカラの源泉たるアチラさんの力量によって出来ることは異なります。 
そして、そのチカラを付与していたモノが去れば当然チカラは無くなります。
 
スピリチュアルな世界には眼に見えない存在からチカラを借りたがる人ってのが大勢いらっしゃいます。
本当かどうかはともかくとして、神だ天使だ宇宙人だってモノにチカラを貰おうとするのです。
 
ただ、借りモノのチカラはどこまでいっても借り物に過ぎないんですよね。
自分が元々持ってる第六感とは別モノです。
生来のモノではないので遅かれ早かれ無理が生じます。
 
でも、そういうチカラを欲し、そういうチカラを手に入れたような方々の多くはそうは考えません。
自分たちの手に入れたチカラは神や天使みたいな超常的な良いモノから授けられたので、いつまでも無尽蔵に使えると信じていたりします。
一部の人は自分がもっと別の『あまり良くないモノ』からチカラを借りてる自覚があるかも知れませんが、そっちの方がずっと少数派のような気がします。
 
あと、気をつけてほしいのは信仰絡みで手に入れたチカラです。
例えば「仏像を熱心に拝んでたら、ある日不思議な光が見えて、観音菩薩の声が聞こえ、霊能力が発現した!」みたいな話のことです。
 
ハッキリ言ってその手の話はすごくアヤシイと感じます。
今までの経験上そういう『信仰』絡みのチカラに取り込まれると後々ロクなことにならないと思うのです。
まあ、それでもチカラが欲しければ「ご自由に」ってことですけど…
 
 
 
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写真には色々と写るから残酷です (パワーストーン篇)

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』ですからはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。
向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
 
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
 
以下2017年3月の記事。
無生物というのは人間のように魂がないので中身がみっちり詰まってません。
その分使っている人の想念エネルギーの影響を受けやすいのです。

まぁ、生きてる人のエネルギーだけではなく、亡くなったヒトや物の怪など色んな波動エネルギーが入りやすいです。
入りやすいということはそれだけ影響も受けています。
 
この無生物というのには所謂パワーストーンとかも当然含まれます。
最近或る方がそういった石を独自の方法で浄化するという話をブログに書かれているのを拝見したのです。
 
で、その記事に浄化する前とした後の写真を載せられていました。
「どうです? すごいスッキリしたでしょう!」って感じで文章も綴られてるわけです。
 
ハッキリ言って浄化する前の石もアオミドロみたいで気持ち悪かったのですが、浄化後の写真はもっと気持ち悪かったです。
「えー(>_<)」って思ってみてると途端にゲホゲホと咳き込みました。
個人的には「あー(~_~;)」って感じです。
 
これまでも述べてきましたが、私の場合何か波動のレベルの低いエネルギーにピントが合うとゲホゲホ咳き込みます。 
何時もではありませんが、そういうことが割りと頻繁に起こるのです。
 
わざわざ咳がしたいわけではありませんけど自然と出てくるのでしょうがないのです。
ただ、このゲホゲホは波動エネルギーを確認する時のナビゲーターとしては相当重宝します。  
そのエネルギーの波動のレベルを理屈抜きで知らせてくれるからです。
 
正直浄化後の方が浄化する前よりエネルギー的にドロドロになってました。
浄化する代わりに穢れの素みたいなモノをゴシゴシ奥まですり込んだって感じです。
 
何が恐ろしいかってあんなに気持ち悪いモノがピカピカで綺麗に見えるところです。
写真にバッチリ写っちまってるのにね…
 
気持ち悪いモノの正体は物の怪だと思います。
物の怪に惑わされて感覚が麻痺してしまっているのです。
 
そういう状態には誰でもなり得ます。
だから、心のバランスが大切なのです。
 
それにしてもたった2枚でその霊能者さんの実態が透けて見える写真って残酷だなぁと思います。
自戒を込めて!
 
 
 
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損得勘定と波動のレベル

以前「自分にとって良いことばかり引き寄せられる所謂引き寄せの法則はないということ」を書いたことがあります。
でも、別の意味の引き寄せの法則はあると思っています。
 
それは人は意識を向けたモノを引き寄せるということです。
意識を向ければ向けるほどそのモノを引き寄せるのです。
 
じゃあ、所謂引き寄せの法則と同じじゃないかと思われるかも知れません。
でもね、何でもかんでも引き寄せられるわけじゃないのです。
 
何故なら意識を向けるといっても人間は自分のレベルでしか意識を向けられないからです。
結局その時の自分の波動のレベルに見合ったモノしか引き寄せられないのです。
 
以上のようなことを以前に書いたことがあります。
でここからが本題なんですが、「果たして日常的に損得勘定を繰り返していくとお得な人生を送れるのか?」ってことについてです。
 
「自分だけが得したいというスケベ心」ってのは誰にだってあるものです。
だから、大なり小なりみんな損得勘定をして生活しています。
 
ただ、目先の損得勘定ばかりに縛られてると心は澱みます。
心が澱むと波動のレベルは下がります。
 
波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 

波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 
親近感を持つということはつまりウエルカムな心の状態になっているということです。
 
それは、違う波動のレベルの人から見れば損得勘定が剥き出しで、ドン引きしてしまうような人間関係とかを、平気で自慢するような『鈍感さ』を手に入れてしまうってことでもあります。
なので、損得勘定ばかりしていると損得勘定ばかりしている人が周りに寄ってくるようになります。
所謂類は友を呼ぶってヤツです。
 
損得勘定でモノを見る人間は対象を値踏みすることが習い性になっています。
自分にとって得になる存在かそうじゃないかで相手を分別するクセがついてるってことです。
 
なのに、そういうタイプの人ほど自分が値踏みすることには抵抗はないのに他人に値踏みされることにはすごく抵抗感があったりします。
自分のことは棚にあげたがるのです。
 
値踏みする者は値踏みされるし、損得勘定で取捨選択する者は己れ自身も損得勘定で取捨選択されるのです。
まさにやってやられて、捨てて捨てられての世界です。
それが『お得な人生』なのかどうかはそれぞれの方の判断にお任せしますけどね…
人を裁くな。自分が裁かれないためである。 あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るその秤で、自分にも量り与えられるであろう。 マタイによる福音書第7章
 
 
 
『このブログを浄化します』 

 
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